横浜と馬、競馬の歴史
洋式競馬の幕開け
幕末の横浜にもたらされた最初のスポーツ
現存する最古の競馬番組(1862年5月1・2日開催) ジャパン・ヘラルド 1862年4月26日号 横浜開港資料館蔵
今日、大衆レジャーの一つとして親しまれている現在の日本競馬は、横浜開港により来日した居留外国人によって持ち込まれた洋式競馬がルーツとなっています。
最も古い開催は、開港翌年の1860年(万延元)9月1日に現在の元町で行われました。その模様はアメリカ人実業家フランシス・ホールの日記に詳しく綴られています。続いて1862年(文久2)横浜新田(現在の中華街一帯)に1周1,200m、幅11mの円形馬場が作られ挙行されました。しかし居留外国人が増えると仮の施設であったため間もなく廃止され、彼らの住宅地として整備されてしまいました。
一方1862年(文久2)に起きた生麦事件により、居留地内に英仏の軍隊が駐屯するようになり、イギリス第20連隊の駐屯地(現在の港の見える丘公園付近)で軍人らが1865年(慶応元)に競馬を行いました。当時の外国人向け新聞『イラストレーテッド・ロンドンニューズ』には、「Garrison Race(駐屯軍競馬)」と記され、武士(日本人役人)が招待されて800mを競った様子が挿絵として克明に描かれています。
その後、根岸村立野(現在のJR山手駅前大和町商店街付近)に設けられた居留外国人のための射撃場兼練兵場(通称:鉄砲場)でも、1865・66年(慶応元・2)にかけて行われましたが、いずれも専用の競馬場ではなく、場所も定着しませんでした。そのため居留外国人から恒久的な競馬場建設の要望が高まりました。
イラストレーテッド・ロンドン・ニューズ
1863年9月12日号 馬の博物館蔵
横浜新田(現在の中華街一帯)を描いたものです。
上図の右側及び下図の左側には当時のコースとおぼしきものが描かれています。
イラストレーテッド・ロンドン・ニューズ
絵:チャールズ・ワーグマン
1865年7月8日号 馬の博物館蔵
英国第20連隊駐屯地で行われた武士(官吏)招待競走を描いたものです。
1863年9月12日号 馬の博物館蔵
横浜新田(現在の中華街一帯)を描いたものです。
上図の右側及び下図の左側には当時のコースとおぼしきものが描かれています。
イラストレーテッド・ロンドン・ニューズ
絵:チャールズ・ワーグマン
1865年7月8日号 馬の博物館蔵
英国第20連隊駐屯地で行われた武士(官吏)招待競走を描いたものです。