公益財団法人馬事文化財団

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2016年6月3日

夏の気配を感じる根岸の丘では、6月4日(土)から、春季特別展「根岸競馬場開設150周年記念 ハイカラケイバを初めて候(そうろう)を開催します。皆様にいち早くこの展覧会の見どころをお届けすべく、展示の一部をご紹介いたします。

馬の博物館春季特別展
「根岸競馬場開設150周年 ハイカラケイバを初めて そうろう 」 見どころと展示作品の一部をご紹介

旧根岸競馬場は、わが国初の本格的競馬施設として1866年(慶応2)に開設されて以来、150周年となります。これを記念し馬の博物館では、春季特別展を6月4日(土)~8月7日(日)まで開催いたします。

本展では、先ず、"根岸競馬場"の建設に至る経緯から、1866年(慶応2)の竣工、翌年から1942年(昭和17)まで70有余年の開催、戦時中の海軍接収、戦後の連合軍占領を経て、競馬開催復活運動、さらに1991年(平成3)の競馬法改正まで存在していた幻影の競馬場時代、2009年(同21)に国が根岸競馬場跡地を「近代化産業遺産」に指定されるに至る歴史をたどります。

続いて、特に根岸競馬場を舞台に活躍された人馬を紹介します。このコーナーでは謎につつまれていた明治のスーパージョッキーをクローズアップ、伝説の日本人騎手"大野市太郎"の写真とプロフィールを公開、出生から没年までを明らかにします。

さらに、明治天皇の根岸行幸史・天皇賞のルーツとなった御下賜品競走の概要、競馬場ゆかりの作家や馬場内のゴルフ場、根岸競馬場一等馬見所(スタンド)の設計者J.H.モーガンなど幅広い分野から根岸競馬の魅力を特集します。

加えて「平成の楯男こと・武豊騎手につながる御下賜品競走の縁(えにし)」と題する特別編を設けました。ここで、園田・武家と天皇賞の発祥地・根岸競馬との密度の濃い関係性を解説いたします。

最終コーナーでは「根岸競馬残照・多大なる遺産」と題し、今日の近代日本競馬の礎となり、承継されている数々の遺財として、現在の日本競馬に影響を与えた根岸競馬に関連する事柄を列挙いたします。

また、関係各機関各個人の方からお借りした貴重な根岸競馬(施設・人・馬)の写真を集めた「画像ギャラリー」も見どころの一つです。根岸競馬関連の写真がスライドショー(一定の間隔で写真が移行します)でモニター画面に映し出されます。おそらく読者の皆さんには初見の写真が連続して登場します。

それでは、ここで、本展の内容を少しご紹介いたしましょう。

1つめは"根岸ゆかりの作家たちコーナー"で登場する小説家「中戸川吉二(なかとがわ・きちじ)」です。ご存知の方は少ないと思いますが、1896年(明治29)に釧路で生まれた吉二は、3歳の時東京の本郷に移り、実家が牧畜業を営んでいたため、夏は釧路、冬は東京という二重生活を送ります。執筆を始めたのは22歳の頃からで、のちに芥川龍之介は吉二の小説『イボタの蟲』を「得甲斐のある成功を贖ひ得た」(わが月評)と評し、1919年(大正8)6月15日付の菅忠雄宛書簡では「恐らく今月の創作中で第一の傑作だらうと思ひます」とその感想を述べ、その素質を激賞しています。若くして創作の筆を断ったため、活動の期間の短さから、いつしか「幻の作家」といわれるようになり、一方で彼の鋭い着想と精緻な心理描写を軸に、不思議な感覚の作風を高く評価された作家の一人でした。そんな彼の趣味が競馬でした。32歳(昭和2年)の頃から久米正雄・菊池寛らと競馬場に出かけはじめ、翌年7月『週刊朝日』に「競馬漫筆」で競馬評論家としてデビューします。その後S.アイザックス場長の知己を得、遅くとも1937年(昭和12)には馬主となりました。服色は「紫、黄元禄、紫帽」で、根岸のほかに中山と京都でも会員となりました。当時作家の馬主は、吉二と菊池寛だけでした(吉川英治は昭和14年から)。吉二はアイザックスから譲り受けたエルクハート号で初勝利をあげましたが、1942年(昭和17)11月、47歳の若さで他界してしまいました。

子息宗一と中戸川吉二 
1940年(昭和15)撮影 個人蔵

2つめは〔特別編〕で紹介する“平成の楯男こと・武豊騎手につながる御下賜品競走の縁コーナー”の亀田郡桔梗村の園田牧場です。1887年(明治20年)に、現在の函館市桔梗町にあった北海道庁桔梗野牧羊場の払下げを受けて、園田実徳は牧場の経営に着手しました。

実徳は明治期の競馬界における大功労者で、1848年(嘉永元)鹿児島下荒田町(鹿児島市)で、薩摩藩士の父園田彦右衛門と母シンの長男として生まれました。園田家から武家に養子に入った実徳の弟彦七は日本洋式馬術の祖・函館大経の直弟子として多くの騎手、調教師を育てた馬術家であり、実徳の代理として園田牧場の場長も務めました。武豊騎手の曽祖父にあたる人物です。

本年5月1日にキタサンブラック号で12度目となる天皇賞を制覇し天皇賞最多勝記録を更新した武騎手。その天皇賞のルーツは1880年(明治13)春季に、根岸競馬場ではじまった「ミカドズベース」でした。1905年(同38)エンペラーズカップとして春秋2回の下賜が定着し、やがて馬券発売黙許時代の先駆となった東京競馬会(池上競馬場)でも根岸同様春秋で帝室御賞典競走が行われ、その第2・3回の優勝馬主は園田実徳でした。

また園田牧場は1921年(大正10)根岸秋季競馬の帝室御賞典優勝馬コザクラ号を生産しています。こうした、綿々と馬にまつわる園田・武家(園田実徳・清彦、武彦七→芳彦→邦彦→豊)と御賞典競走・天皇賞を連関させて、貴重な古写真や直筆の手紙などを会場に配置します。

最後に展示会場には、写真、絵画、馬像、優勝記念品、入場(招待)券・馬券、記念スタンプ押印葉書など、貴重かつ珍しい実物資料を一堂に会しますが、初公開となる資料が多いのも本展の特徴です。読者の皆様にはいち早く、写真で一部をお披露目します。

初公開
墨染号と岡治善騎手 明治16~19年
根岸競馬場で20戦18勝〔判明分〕したスーパーホース(南部馬)
濱中幾治郎氏蔵
初公開
帝室御賞典(明治40年根岸春季競馬)優勝馬メルボルン二世号と神馬惣策騎手記念写真
同馬は豪州産の鹿毛の牝馬。写真が収まった額の上部には御賞典花盛器のデザインが配されている JRA競馬博物館蔵
初公開
横浜市長杯 純銀 
サムライ商会制作 
1932年(昭和7)秋季 
個人蔵
初公開
最後の開催となったポスター タイトルは時局を反映している。
1942年(昭和17)秋季
横浜都市発展記念館蔵

執筆:馬の博物館 学芸部 日高嘉継

この記事は、北海道新聞社の「道新スポーツ・馬事通信」2016年5月15日号に掲載された 馬の博物館春季特別展「根岸競馬場開設150周年 ハイカラケイバを初めて候(そうろう)」を、ご許可をいただいて、一部書き改めて転載いたしました。