馬の博物館 (横浜)

馬の博物館とは

馬博外観

馬の博物館は、1977年(昭和52)日本中央競馬会により、わが国初の本格的な洋式競馬施設・根岸(横浜)競馬場跡地に開設された根岸競馬記念公苑内にあり、現在は公益財団法人馬事文化財団が運営しています。

馬と人との交流によって育まれた文物を自然史・歴史・民俗・美術工芸・競馬のフィールドに分けて、収集、調査、研究、展示を行ってきました。

これまで収集した収蔵資料は15,000件から成り、おもな資料として《張良図沈金鞍》(重要文化財)、久隅守景筆《賀茂競馬図屏風》(重要美術品)などがあります。

また、併設のポニーセンターでは、サラブレッドや日本古来の種である在来馬などをけい養しており、放牧や運動の様子を見学することができます。

人類が永きにわたってパートナーとして馬と密接な関係にあったことを表す証でもある資料と、生きた教材である馬を通して、馬の果たしてきた役割と魅力を未来に伝えていきます。

根岸競馬場の歴史

1860年代、横浜で始まった洋式競馬は、1866年(慶応2)にこの地に完成した根岸競馬場を舞台に、翌年から1942年(昭和17)に幕を下ろすまで76年間行われました。

もともと居留外国人の娯楽として始まった根岸競馬場は、やがて日本人も加わった社交場として賑わい、その後各地に設立された競馬場のモデルとなりました。

根岸競馬場のレース風景(1934年5月18日)

横浜の競馬と馬の博物館の歩み

1860年(万延元)
9月1日、現在の元町付近で日本初の洋式競馬(馬蹄形の馬場)が行われる。
1862年(文久2)
横浜新田(今の中区山下町)で現在の競馬の原型となる近代競馬(環形馬場で正式に番組を決めて実施)が行われる。
1865年(元治2)
2月と4月に練兵場(調練場)(今の中区諏訪町)にて、8月以降は射撃場(今の中区大和町)で競馬が行われる。
1866年(慶応2)
12月、日本初の本格的洋式競馬場である根岸競馬場(現在地、中区根岸台及び簑沢)が完成。
1867年(慶応3)
1月11日、根岸で最初の競走が行われる。
1880年(明治13)
日本レースクラブ結成。
1888年(明治21)
日本レースクラブがパリミューチュエル式馬券の発売を開始。
1929年(昭和4)
4月、J.H.モーガン設計の新スタンド(馬見所)着工、翌年竣工。
1937年(昭和12)
日本競馬会が日本レースクラブを吸収。横浜競馬場に名称変更。
1939年(昭和14)
第1回横浜農林省賞典四歳呼馬競走(現在の皐月賞)を開催。
1942年(昭和17)
10月18日、横浜競馬場で最後の競走が行われる。
1943年(昭和18)
横浜競馬場閉鎖。海軍省に接収。戦後は連合軍、後に米軍が使用。
1954年(昭和29)
日本中央競馬会法公布、日本中央競馬会創立。
1969年(昭和44)
横浜競馬場跡地の一部返還を受け、日本中央競馬会は根岸競馬を記念し、馬についての知識を普及するための施設の建設を決定。横浜市は根岸森林公園の建設を決定。
1976年(昭和51)
財団法人馬事文化財団設立。
1977年(昭和52)
根岸競馬記念公苑・馬の博物館がオープン。
2009年(平成21)
経済産業省が根岸森林公園「旧根岸競馬場及び一等馬見所」を「近代化産業遺産」に認定。
2013年(平成25)
公益財団法人馬事文化財団に移行。
帝室御賞典競走当日の根岸競馬場の様子(1908年)